「ナッジ」が公共政策で果たす役割とは?【ナッジ②】
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- writer : GDX TIMES編集部
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「ナッジ」は、従来の政策手法を補完する有用な政策アプローチとして世界規模で注目されています。今回は、公共政策におけるナッジの取り組みについて紹介します。
「ナッジ」とは選択者の意思や感情を取り入れたナビゲート手法
人間の行動心理を利用して、対象者が自発的によりよい選択を行えるように後押しするアプローチを、「ナッジ」といいます。ナッジについては、以下の記事もあわせてお読みください。
「ナッジ」理論はダイバーシティ社会で力を発揮!「人のココロ」に基づいたアプローチ手法【ナッジ①】
ナッジは、インセンティブ(報酬)を与えたり罰則を科したりすることなく、自発的な行動変容を促す手法なので、気づかないうちにナッジに誘導されていることもあるでしょう。注意深く見ると、私たちの身近な暮らしのなかにも、さまざまなナッジが取り入れられていることがわかります。その具体例を紹介します。
▶レジに並ぶときの「足跡」
コンビニやスーパーのレジ前の床には、足跡のマークが描かれていることが多いようです。これは列を乱すことなく並んでもらえるように誘導するもので、ナッジの一例です。最近では「密」を防ぐ効果も発揮しています。
▶トイレの「ありがとうございます」
お店のトイレを利用するときなどに「いつも綺麗にお使いいただき、ありがとうございます」というようなメッセージをよく見かけます。目的は同じでも「トイレを汚さないで!」と強制されるよりも、自然に「綺麗に使おう」と意識するようになります。
▶レジ袋が必要な場合は「申告カード」
スーパーなどでレジ袋が必要な場合には、カードを提示してもらうようにしている店舗が増えています。これもレジ袋の削減を狙ったナッジの例で、このルールを実施した店舗では、レジ袋の辞退率が大幅に向上しました。
「ナッジ」は従来の政策手法を補完する位置づけ
従来、公共政策の実施にあたっては、法律による規制や経済的なインセンティブの付与、普及活動の推進などの手法を使い分けながら、市民の選択を促し、政策目的を達成しようとしてきました。
ところが、このような間接的に人々の行動に働きかける手法だけでは、多様化する個々人のライフスタイルを大きく変化させることはできません。人々の公共の利益を優先しようという意識に働きかけ、市民の自発的な行動を促すような仕組みが必要になってきました。
ナッジは、従来の情報提供による普及啓発活動とも異なり「人間がどのように感じ、どう考えるか」という人間心理や行動特性を踏まえた手法です。ナッジをはじめとする行動科学の知見(いわゆる行動インサイト)は、環境・エネルギーや健康・医療、教育など、さまざまな社会課題を改善に導くものとして世界的に着目されるようになりました。
このため、上図の規制的手法(法規制など)、財政的手法(補助金など経済的インセンティブの付与)、情報的手法(普及啓発活動など)といった従来型の政策手法を補完するものとして期待されています。
また、規制や経済的インセンティブの付与などの手法と比較して、政策現場の事務負担やコストを軽減できるという点でも注目されています。
「ナッジ」は有効な政策アプローチとして世界規模で注目されている
行動インサイトを活用した政策手法は、環境・エネルギー、健康・医療、教育、税制、行政の効率化、働き方改革、差別の撤廃、SDGs(持続可能な開発目標)など、さまざまな社会課題の解決に有効であるとして、英国や米国をはじめ、全世界で注目されています。
英国では2010年に内閣府の下に、米国では2015年に大統領府内に、行動インサイトを政策に反映させるための組織を設立し、公共政策への活用を推進してきました。このような行動インサイトを活用した政策アプローチの代表例がナッジであり、ナッジの政策活用を推進する組織は「ナッジ・ユニット」と呼ばれています。OECD(経済協力開発機構)によると、2018年時点で200を超えるナッジ・ユニットが存在するようです。
日本での「ナッジ」の取り組みは環境省がリード
日本では各府省庁に先駆けて、2015年、環境省に専門のプロジェクトチーム「ナッジPT(プラチナ)」が設立されました。この設立は、人事院長期在外研究員制度により米国の政策や民間の現場で行動インサイトが浸透しているのを目の当たりにしたスタッフが、研究成果の社会還元と人々のより良い判断を後押しすることを狙ったものだったそうです。その後、2017年4月には、産学政官民連携の日本版ナッジ・ユニットBEST(Behavioral Sciences Team)が発足、環境省ナッジ事業の開始へとつながっていきます。
以降、日本版ナッジ・ユニットBESTでは、環境省を事務局として、10を超える府省庁が参加する連絡会議を開催するなど、産学政官民連携によるオールジャパン体制で、行動インサイトの政策活用検討を進めています。このほか、各府省庁でも独自に行動インサイトの活用を検討しています。さらに環境省と人事院、環境省と内閣府、環境省と資源エネルギー庁など、省庁間の垣根を超えた連携も進められています。
このような状況を踏まえて、日本の成長戦略を示す「経済財政運営と改革の基本方針 2018」や「未来投資戦略2018」では、国民の行動変容に働きかける取り組みを加速・拡大するアプローチとして、ナッジの活用が閣議決定されています。
着実に広がっている「ナッジ」の取り組み
日本において、行動インサイトを活用した取り組みは、政府のみならず地方自治体や民間のビジネスの現場へと広がりを見せ、産学政官民の立場を超えた連携も進められるようになってきました。
日本版ナッジ・ユニット(BEST)連絡会議
2017年に発足した日本版ナッジ・ユニットBESTでは、連絡会議を開催し、各回のテーマにあったメンバーを集めて議論を重ねてきました。まさに産学政官民連携によるオールジャパン体制で、行動インサイトの政策活用検討を進めています。
ベストナッジ賞コンテスト
環境省および日本版ナッジ・ユニットBESTは、2018年より行動経済学会との連携により「ベストナッジ賞」コンテストを開催しています。このコンテストは、ナッジなど行動科学の知見を活用して行動変容を促し、社会や行政の課題解決に向けた実績のある取り組みを募り、プレゼンテーション審査によりベストナッジ賞(環境大臣賞)を選定し、表彰するものです。
2021年12月に実施されたコンテストでは、以下の2つの取り組みがベストナッジ賞(環境大臣賞)に選定されました。
▶︎三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社による「固定資産税の口座振替推奨ナッジ」
▶︎つくばナッジ勉強会による「避難行動要支援者の同意書の返送率の向上〜封筒メッセージの効果検証〜」
自治体版ナッジ・ユニット
日本版ナッジ・ユニットBESTのようなオールジャパンの取り組みに加えて、地方自治体においても、行政に行動科学の知見を活用しようとする動きが見られるようになりました。その先駆けとして、2019年2月に横浜市職員有志を中心に設立された横浜市行動デザインチーム は、その活動を通じてメンバーの専門性を高め、SDGsをはじめとしたさまざまな分野の課題解決に取り組み、多くのイノベーションを実践してきました。YBiTの活動は、横浜市職員の働き方や意識の変革につながると同時に、国内の多くの自治体にも多大な影響を及ぼし、OECDにも認知されています。
行動に着目した社会課題解決のための官民協議会
私たちの社会が抱えるさまざまな課題のなかには、制度や施設などの整備だけではなく、人間の行動というものに真摯に向き合わなければ、解決に至らないものが少なくありません。このため人間の行動に起因する社会課題を抱える地方公共団体(ニーズ)と課題解決に資する技術などを有する事業者(シーズ)とのマッチングやネットワーキングのための官民協働のプラットフォームとして設立されたのが、「行動に着目した社会課題解決のための官民協議会(HUB:Human Behavior)」です。
HUBでは、官民協働フォーラムを開催し、解決すべき社会課題の背景に人々の行動がどう関わっているのか、どのような行動が原因で引き起こされる社会課題であるのかなど、行動科学の知見を活用しながら、官民の協働により議論を重ねています。
公共政策の「ナッジ」活用で指摘されている留意点
政府や自治体による、公共の利益につながるような人々の自発的な選択や行動変容を促そうとする取り組みが増えています。ここでは、このような公共政策へのナッジ活用における留意点についてまとめました。
社会利益や倫理に反しない制度設計
ナッジは、社会課題の解決に向けた効果的な対応策として期待されますが、個人の選択や行動に対して、無意識のうちに先入観を与えてしまい、選択の自由を阻害する危険性をも併せ持つということを認識しなければなりません。ナッジを活用した公共政策を推進しようとする前に、制度設計の段階で、社会の利益や倫理に反しない使用目的に限られるような配慮が求められます。
ナッジを活用した公共政策を推進するためには、行動科学によってその効果が認められたエビデンスの蓄積と正しく制度設計を行うための体制やルールづくりが不可欠になります。OECDをはじめ、各国の行動インサイトの活用を推進するユニットによって、独自のフレームワークが公開 されていますが、それらの検証を重ねたうえで、日本版フレームワークの策定が待たれます。
エビデンス・EBPM精度を高めるために
ナッジを公共政策に活用する際に「素材となる情報が正確かどうか」という点にも留意すべきでしょう。もとになる情報が正しくなければ、人々の行動を誤った方向へと導いてしまいます。このため、正確な情報をすぐに取り出せるように統計データの利用環境を整備することはもちろん、必要なデータを新たにつくり出すしくみの仕組みが求められます。
また、ナッジの政策現場における全面展開の前には、小規模な検証を重ねて、想定通りの効果が期待できるかどうかを検証する必要があります。この検証によって、ナッジに想定通りの効果があるというエビデンスを得て、本格展開するという流れは、EBPM(証拠に基づく政策立案)の進め方そのものといえます。ナッジの政策活用をEBPMとの両輪で進めることによって、より高い効果が期待できます。
国際的に検討されている「ナッジの先」
ナッジを活用した各国の政策やその成功事例が報告・共有され、世界へと波及していますが、海外で効果のあった事例が、文化や生活習慣などが異なる日本において同様に効果があるとは限りません。原著『Nudge』の発刊(2008年)から10年を経て、このような指摘を克服するために、国際的には「ナッジの先(Beyond Nudge)」の検討がスタートしています。
行動インサイトの活用について、ナッジに次ぐ新たなアプローチとして注目されているのが「ブースト(boost:
ぐっと後押しする)」です。このブーストは、人々が行動を習慣化して、それを維持するためには、本人の主体的な関与が欠かせないとする考え方をベースとしています。個人の技能や知識(コンピテンシー、リテラシー)を向上させ、人々が自分自身で主体的に選択する能力(行動主体性)を育成する政策アプローチです。
たとえば環境学習において、まず現状や課題について認識させるために必要な情報を提供します。そして、認識した現状や課題を自分事と捉え、自らができることは何かを考え実践できるように後押しをするというアプローチです。ナッジが人々を無意識のうちに特定の行動に誘導するのに対して、ブーストは対象者の主体的な関与が求められるために、人々の自主性や自律性を侵害する可能性が低いといわれています。
公共政策におけるナッジの活用から、国際的に検討が進んでいる「ナッジの先」について見てきました。ここで留意すべきなのは、「ナッジは万能ではない」ということだと思います。ナッジは従来の政策手法を補完するものであって、置きかわるものではありません。ナッジをEBPMとの両輪で進めることで、人々の行動や判断、選択の幅に変化が生じ、将来の豊かな生活に導くことができるようになることを期待します。