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2025年12月10日

法の未来をコードで描く|欧州会議ENDORSE2025から読み解く「ルール・アズ・コード」の可能性と社会変革 〜リーガル・データ・スペースへの展望〜【後編】 

本稿は、「ENDORSE2025 (The European Data Conference on Reference Data and Semantics (ENDORSE) 2025:  リファレンスデータとセマンティックに関する欧州データカンファレンス2025)」の参加レポートです。このカンファレンスにおいて、EUが示したリーガル・データ・スペースのビジョンを起点に、法制度のデジタル化とRaCの可能性を探るシリーズの後編です。前編では、セマンティック相互運用性がなぜ次世代の法制DXに不可欠なのかを整理しました。まだお読みでない方は、こちらからご覧いただけます。

法の未来をコードで描く|欧州会議ENDORSE2025から読み解く「ルール・アズ・コード」の可能性と社会変革 〜リーガル・データ・スペースへの展望〜【前編】

コード駆動型法制システムとしてのリーガル・データ・スペースが拓く未来社会の展望と課題

このようなRaCがもたらす未来像は、法制事務を司る行政のデジタル化・効率化に留まりません。これは社会統治のあり方や、人間とAIの関係性を根本から再定義する可能性を秘めているパラダイムシフトです。しかし、このような変革には、私たちが慎重に議論すべき倫理的な課題も伴います。

動的な社会システムとしての法制、および政策立案

RaCを実現することにより、法規制は、「静的なテキスト」から「動的で自己学習する社会システムのコンポーネント」へと進化することになります。これは、法令規制という上流からガイドライン、業務マニュアル、業務システムの仕様書などの下流までを含むルール全体の在り方を、機械が解釈し実行できる形に整備していくという、社会構造の変革プロジェクトです。欧州ではこれを、リーガル・データ・スペースとして、欧州全体の共通な基盤の整備に着手し始めています。

日本においても、デジタルガバメントや自治体DXが進む中で、データに基づいた政策立案(EBPM:Evidence-based Policy Making)の必要性が語られるようになりました。EBPMは、データに基づいた立案をすることそのものが目的ではありません。政策の施行状況がリアルタイムデータとして収集され、その効果が継続的に分析・評価されることを目指してたものであり、その実現には、法令規制自体も機械実行できるようなコード駆動型法制システムにする必要があります。政策立案の根拠となる法令やガイドラインなども、政策と同様に、社会の変化に合わせて柔軟に改善していくアジャイルなガバナンスが可能になります。

これは「政策のデジタルツイン」という概念に集約されます。現実の社会で政策を施行する前に、デジタル空間でその影響をシミュレーションし、最適化することができます。これにより、データに基づいた政策決定(Evidence-based Policy Making)が加速し、より効果的で副作用の少ない社会ルールの設計を実現する、というビジョンを持ったプロジェクトです。

エコシステムを担保するモデル構造の検討

リーガル・データ・スペースは、より大きなエコシステムの中で機能することで真価を発揮します。その全体像をよりモデル構造化することは非常に有効です。「デジタル技術によるLegalTechの体系化と展望」で提示されている内容から以下のように整理できます。

制度層(Governance Layer):OS層

「目的」を規定する最上位レイヤーです。EUのAI ActやeIDAS2規則のように、AIが準拠すべき倫理規範や社会が守るべき価値、説明責任のあり方を定めます。これは、社会全体のデジタルインフラを方向づけるOS(オペレーティングシステム)に相当します。

意味層(Semantic Layer):知識基盤

法、データ、AIの間で「意味のズレ」をなくすための知識基盤です。Hilde Hardeman氏が言及したELIやEU Vocabulariesのように、法令や用語に一意の識別子と定義を与え、機械と人間が同じ意味でルールを解釈できる環境を構築します。RaCが正しく機能するための前提条件となるレイヤーです。

信頼層(Trust Layer):品質と真正性の保証

法的プロセス全体が信頼できることを保証するレイヤーです。データの品質を保証するFAIR-R原則や、データの来歴を証明するブロックチェーン技術などがここに属します。これにより、AIの判断や行政手続きが「どのデータと根拠に基づいているか」を追跡し、検証可能にします。

このモデルにおいて、Hardeman氏が強調している、EUのリーガル・セマンティック・インターオペラビリティの取り組みは、まさに「意味層」の中核をなすものであり、RaCというエンジンを動かすための不可欠なエネルギーなのです。

AI社会における法の役割:ガードレールとしてのRaC

AIが社会の意思決定に深く関与する時代となった今、RaCは極めて重要な役割を果たします。Pia Andrews氏は「ルール・アズ・コードはAIのガードレールを提供するものである」と述べています。

この考え方は、チェスの対局にたとえると分かりやすいでしょう。生成AIが次の一手(=意思決定)を考えたとき、その手がチェスのルール(=法)に違反していないかを、行動を起こす前に照合する仕組みを想像してみてください。RaCはまさにこの「ルールブック」の役割を果たします。AIの判断が常に適法(Lawful)であるかをリアルタイムで検証し、逸脱を防ぐための不可欠なインフラとなるのです。これにより、AIシステムの適法性、説明責任、透明性が技術的に確保され、社会が安心してAIを受け入れるための基盤が築かれます。

日本政府・行政機関が信頼して利用できるガバメントAIを整備するためには、我が国のさまざまな法令規制やガイドラインのRules as Codeエンジンやデータを整備することが、非常な重要なコンポーネントとなります。

専門的視点からの考察:リーガリティ vs リーガリズム

しかし、法のデジタル化には深刻なリスクも伴います。Rules as Codeの研究者であるLaurence Diver氏が警鐘を鳴らすように、私たちは「リーガリティ(Legality)」と「リーガリズム(Legalism)」という二つの概念を区別しなければなりません。

リーガリティ(Legality):法の支配

法が解釈、審議、そして異議申し立ての余地を認める、相互的な関係性に基づく支配のこと。市民がルールの適用に納得し、参加できる余地がある状態を指します。

リーガリズム(Legalism):法による支配

ルールをトップダウンで機械的に適用する、一方的な支配のこと。文脈や個別事情を考慮せず、厳格なルール適用のみを重視する状態です。

具体例を挙げましょう。交通カメラがセンサーデータに基づき自動的に罰金を科すのはリーガリズムの一例です。一方で、運転者が医療緊急事態などの背景事情を提示してその罰金に異議を申し立て、裁判所で争うことができるのがリーガリティの本質です。RaCが目指すべきは、後者の持つ重要な人間的要素を破壊することなく、前者の効率性を実現することです。

RaCの導入が目指すべきは、テクノロジーによって「リーガリティ」を強化し、市民が法をより身近に感じられるようにすることです。しかし、設計を誤れば、意図せずして柔軟性を欠いた「計算論的リーガリズム(computational legalism)」に陥る危険があります。この計算論的リーガリズムのリスクは、制度層(Governance Layer)信頼層の技術的実装だけが先行した場合に顕在化する可能性を秘めており、世界各国の法令工学に関わる研究者が警鐘を慣らしています。これは、コードによって解釈の余地が完全に排除され、異議を唱えることすら困難になる、冷徹な「コードによる支配」です。

法のデジタル化を進める上での核心的な課題は、技術によって法の持つ対話性や柔軟性を殺してしまうのではなく、むしろそれを強化することにあります。この一点を見失えば、効率化と引き換えに、社会における人間性を失うことになりかねません。

信頼を社会インフラとして再設計する

本稿は、Hilde Hardeman氏が示した「リーガル・データ・スペースにおけるセマンティック相互運用性」というEUのビジョンから始まり、それが「ルール・アズ・コード(RaC)」という具体的なプロジェクトへとどう繋がるのかを論じてきました。RaCがもたらすアジャイルなガバナンスやAIのガードレールとしての未来像と、計算論的リーガリズムに陥るリスクという課題を考察しました。これは、意味層(Semantic Layer)の構築から、信頼層(Trust Layer)によるデータ品質保証の上で、最終的には制度層(Governance Layer)が司る「リーガリティ」をどう技術で強化するかというLaurence Diver氏からの警鐘を提示しています。

この一連の議論から見えてくるのは、法制DXとは、その本質は単なる「法務の効率化ツール」ではなく、「社会を再設計するインフラ」であるという事実です。データ化、自動化、そして信頼化というモデル構造を通じて、法はもはや難解なテキストではなく、社会の誰もがアクセスし、その意味を共有できるシステムへと進化できる可能性を秘めています。この可能性は、法やルールが「『理解される』『実行される』『信頼される』存在へと進化する」ことを意味します。これこそが、AIが社会の隅々まで浸透するデジタル社会における、私たちとテクノロジー、そして国家政府と市民との新しい社会契約の姿なのかもしれません。

この変革は、誰かが与えてくれる未来ではありません。私たちが自ら築き上げていくものです。コードで描かれる法の未来は、すでに世界各国で始まっています。日本もその一つです。その設計図を、私たち一人ひとりが考え、議論し、そして描いていくことが求められているのです。

各国の法制事務デジタル化およびRules as Codeの状況についての報告書はこちら↓

法令立案プロセスにおけるデジタル技術 の活用等に関する海外動向調査 報告書

https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/7f49ac76-91f1-44ba-91bd-2114973fcc61/2fc433c3/20250530-policies_legal-practice_outline_01.pdf

北野菜穂(アスコエパートナーズ)
この記事を書いたのは:

早稲田大学大学院、米国、中国他の大学にて社会システム理論研究。 ロボットベンチャー創業後、2014年まで同社代表取締役社長。2017年より株式会社アスコエパートナーズに参画。現在同社取締役及び一般社団法人ユニバーサルメニュー普及協会事務局長。 欧州のISA2CPSV-AP事業、エストニア政府との国際標準行政サービスカタログ開発事業、内閣府スマートシティ都市OS事業、自治体デジタルガバメント事業、経産省共通語彙基盤推進事業などに従事。

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