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法の未来をコードで描く|欧州会議ENDORSE2025から読み解く「ルール・アズ・コード」の可能性と社会変革 〜リーガル・データ・スペースへの展望〜【前編】
- category : AUKOE の コエ GDX レポート
- writer : 北野菜穂(アスコエパートナーズ)
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セマンティック相互運用性から始まる法制DX
先ごろ開催されたセマンティック技術のカンファレンス「ENDORSE2025 (The European Data Conference on Reference Data and Semantics (ENDORSE) 2025: リファレンスデータとセマンティックに関する欧州データカンファレンス2025)」に参加しました。
このカンファレンスにおいて、欧州連合(EU)出版局のHilde Hardeman局長は、示唆に富んだオープニングスピーチを行いました。彼女は、EUが推進するデータ戦略の核心を、料理にたとえてこう表現しました。「材料(参照データ)だけでは料理は作れません。それらをどう組み合わせ、文脈の中で何を意味するのかを示すレシピ(セマンティックリソース)が必要です」。
https://youtu.be/cVVBk8LI8bU?si=cx3_M8M_Tpa2Ojfc
このアナロジーは、27の加盟国と多様な言語が協調して機能する巨大な共同体であるEUにとって、「セマンティック相互運用性」がいかに重要であるかを象徴しています。これは単にデータを交換するだけでなく、国境や言語、システムを越えて「同じ意味で理解される」ことを保証する基盤を意味しています。EUは、ELI(欧州法規制識別子)のような具体的な取り組みを通じて、法規制情報を標準化し、国境を越えてアクセス可能にする「欧州全体をカバーするリーガル・データ・スペース」の構築を着実に進めています。
本稿では、Hardeman氏が示したこのEUのビジョンを起点とし、現代のテキストベースの法制度が直面する限界を乗り越えるための新たなパラダイムを探ります。それは、社会のルールそのものをデジタル化するコード駆動型法制、時にはルール・アズ・コード(Rules as Code: RaC)と呼ばれる概念です。コード駆動型法制がもたらす社会変革の可能性と、その先に広がる未来の展望について掘り下げていきます。

デジタル社会における「テキストベースの法」の限界
私たちが生きている現代社会は、瞬時のデータ交換とアルゴリズムによる計算が実施されるプロセスによって、デジタル基盤の上で動いています。その一方で、社会を規定する法規制は、依然として静的なテキストというアナログなシステムの中で運用されています。テクノロジーの進化速度と法規制のアナログな運用手法との間に広がる溝は、政策の目的を損ない、非効率、不整合、不透明性な行政というイメージの背景となり、公共機関に対する信頼を損ないかねない状況となっています。
現行法制度の課題分析
現在の法規制の策定から実行までのプロセスは、数多くの構造的な問題を抱えています。オーストラリアにおける公共政策のエキスパートであるPia Andrews氏は、これらを、主に5つの問題に分類しています。
◆推測駆動の問題 (Guess-driven)
政策がどのようなインパクトをもたらすか、明確なデータに基づかずに推測で立案されることが多い。
◆非効率の問題 (Inefficient)
政策意図が法律テキストに変換され、さらにそれが各組織で解釈され、システムに実装されるまでに、膨大な時間とコストを要する。
◆非一貫性の問題 (Inconsistent)
同じ法律でも、解釈する組織や担当者によって解釈が異なり、適用にばらつきが生じる。
◆非効果的の問題 (Ineffective)
政策の本来の意図が、複雑な伝達プロセスの中で失われ、期待された社会的効果を発揮できない。
◆不透明性の問題 (Opaque)
立法や規制のプロセスが複雑で、市民や企業にとって、なぜそのルールが存在し、どのように適用されるのかが理解しにくい。
これらの問題の根源には、政策立案者、法制事務担当者、そして業務ソフトウェア開発者の間に存在する深刻な「翻訳のギャップ」があります。それぞれの専門家が異なる言語と思考フレームワークで作業するため、政策の意図が正確にコードに変換されることは極めて困難なのです。これらの非効率性や不整合は、プロセス全体で共有されるべき意味を保証する「意味層(Semantic Layer)」や、データの完全性を担保するべき「信頼層(Trust Layer)」を、その根幹である法制度側が欠いていることからもたらされており、デジタル社会における大きな課題となっています。
さらに新たな、そしてより大きな問題
さらに、現代社会が直面する課題は、もはや人間の行動を規律するだけでは収まりません。社会や経済の形成は、機械の振る舞いをどう形成するか、という新たな次元に入っています。OpenAIによる、全世界規模におけるAIツールの大衆化が日常生活の一部にもなってきているにも関わらず、「マシーンは、従来の法的、金銭的、刑罰的な動機付けに反応しない」社会構造となっています。ルールそのものの在り方を、機械が解釈し実行できる形へと根本的に見直す必要に迫られているのです。
これらの課題を克服するためのアプローチとして、「Rules as Code ルール・アズ・コード」という新しいパラダイムが注目を集めています。それは、法を単なるテキストから、デジタル社会のインフラとして再設計しようとする試みなのです。
「ルール・アズ・コード(Rues as Code)」とは何か
前章で示した「テキストベースの法」の限界に対する具体的な解決策として登場したのが、「ルール・アズ・コード(RaC)」です。RaCは単なる法務のIT化や自動化といった技術的な手法のみを意味するのではありません。それは、法制度の設計思想そのものを変革し、社会のルールをデジタルネイティブな形で再定義するパラダイムシフトです。
RaCの定義と誤解の解消
まず、RaCが何であるかを正確に理解することが重要です。RaCについての定義は、さまざまな学者や研究家が発表をしており、単一に定まった定義はまだ存在していません。しかしどの発表においても交通した3つの核心的な特徴があります。
①法規制の機械可読バージョンであること
人間が読む自然言語のテキストと並行して、コンピュータが直接解釈・実行できる形式でルールを記述する行為、またはその成果物であること。
②他のシステムやルールから独立して管理されること
特定の業務システムに埋め込まれるのではなく、共通利用が可能な、かつ独立したコンポーネントとして管理運用されること。
③理想的には誰もが利用できるユーティリティとして提供される
行政、企業、市民、AIなど、誰もがAPIなどを通じてアクセスでき利用できる、デジタル公共財またはデジタル公共インフラとして機能すること。
一方で、Rules as Codeはしばしば誤解されがちです。以下にRules as Codeではないことを整理しました。
◆自動化された法律そのものではないこと
Rules as Codeとは人間による法解釈や司法判断のすべてを自動化する行為、または概念ではありません。
◆単なる構造化コンテンツ(XMLなど)ではないこと
機械可読にするための構造化は手段です。そうではなく、ルールの実行可能性の有無が重要です。
◆AIエンジンそのものではないこと
むしろ、RaCとは、AIが準拠すべきルールを提供するための基盤となります。
◆解釈エンジン、または翻訳エンジンではないこと
テキストを後からコードに変換するものではなく、立法プロセスや法制の実行プロセスそのものに、コーディングの思想を組み込んだものです。
◆ウェブサイトではないこと
単なる情報提供ツールではなく、実行可能なルールエンジンそのものです。
RaCがもたらす変革
RaCと、それを包含する「ベタールール(より良いルール作り)」のアプローチは、社会に多岐にわたるメリットをもたらします。
◆より良い政策成果の実現
政策意図が直接コードに反映されるため、目的達成の確度が高まります。
◆迅速な展開
立法から社会実装までの時間が劇的に短縮されます。法案成立と同時にAPIが公開され、即座にサービスやコンプライアンスチェックに利用可能になります。
◆一貫性とコンプライアンスの向上
解釈のブレがなくなり、すべてのシステムで一貫したルール適用が保証されます。
◆トレーサビリティと透明性の確保
ルールの適用プロセスが追跡可能になり、説明責任が果たしやすくなります。
◆公的信頼の構築
透明で効率的なガバナンスが、行政への信頼を高めます。
特に、「政策意図の実現にかかる時間を劇的に短縮する」点は、RaCがもたらす最も強力な変革の一つです。RaCの基本概念とその構造を理解した今、それが未来の社会やガバナンスにどのような変革をもたらすのか、その光と影について、次の章でさらに深く考察します。
法の未来をコードで描く|欧州会議ENDORSE2025から読み解く「ルール・アズ・コード」の可能性と社会変革 〜リーガル・データ・スペースへの展望〜【後編】
この記事を書いたのは:北野菜穂(アスコエパートナーズ)
早稲田大学大学院、米国、中国他の大学にて社会システム理論研究。 ロボットベンチャー創業後、2014年まで同社代表取締役社長。2017年より株式会社アスコエパートナーズに参画。現在同社取締役及び一般社団法人ユニバーサルメニュー普及協会事務局長。 欧州のISA2CPSV-AP事業、エストニア政府との国際標準行政サービスカタログ開発事業、内閣府スマートシティ都市OS事業、自治体デジタルガバメント事業、経産省共通語彙基盤推進事業などに従事。



